教会でライブしたり、キリスト教的な雰囲気の曲があるせいかクリスチャンと間違われることが結構ある。YouTubeのコメントでもあったな、クリスチャンなの?って。

まあ念を押すことでもないけど、僕は特定の宗教というものを有していない。比較宗教だったりそこから派生する哲学だったりが好きなだけである。いわば宗教ファンというやつですな。

一部の新興宗教や昨今のテロのせいで宗教に良くないイメージを持ってる人もいるかもしれないけど、本当はどの宗教も他者に寛容である。また、無宗教と思ってる人も実はその地域の宗教的な価値観に根差して生きていたりするものなんである。

例えば墓石は科学的にはただの花崗岩の塊である。じゃあ墓石を蹴れるか?と言われると、多くの人が躊躇する。なんで?ただの石ですよ?でも蹴れない。それをやってしまうと、人として大切な何かを失ってしまうような気がするのだ。その感覚こそが宗教感覚なのである。

誰かに教えられたわけでもないのに、どの地域の民族にも死者を弔ったり豊作を祝ったりといった風習がある。どうやらチンパンジーも死者を弔うらしい。一体どうなっているのだろう⁉︎生まれながらにその行為がインプットされているとしか思えない。こういうところが強烈に好奇心をそそるのである。

また、あらゆる宗教に共通するふるまいに偶像崇拝がある。人は形あるものに拝みたがるように出来ているらしい。そんな中で、世界的な宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教においては偶像崇拝は禁止されている。なぜその指導者は偶像崇拝を禁じたのか?もちろん宗教的な理由はそれぞれにあるのだが、そんなもんは適当である。僕にはその背後に、何か科学的に説明出来そうな、生物学的に合理的な理由がありそうな気がしてならないのである。

こんな話をFacebookとかインスタに載せたとしたら場違い感が半端ない。いいねがすごく少なそうである。「そ、そうだね!」ボタンがあったら結構いく気がする。SNSでは重すぎるノリの話を語り散らかせるのがブログの良さであるな。

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