Monthly archives: 2月, 2021

因果応報

トレーニングをする時はお笑いは聞かないようにしている。笑って力が出ないからである。僕は有吉さんが好きでよく彼の番組をながら聞きするのだけど、以前胸のトレーニングをしていた時に聞いていて、あと一踏ん張りというところで「ムフッ」となり、すっかり力が抜けてしまった。それ以来お笑いは聞かないようにしている。

しかし時に人には魔がさすものである。腹筋アブローラーでハードなトレーニングをしていた時のことだ。「まあ大丈夫だろう」と思ってついつい松本人志さんの番組を聞いてしまった。アブローラーも終盤、あと数回の踏ん張りというところで「フフッ」となり、力が抜けてしまった。その瞬間、腰が軽くグキッとなったような気がした。すごく嫌な予感がする…。

なんとか持ち直したが、それ以来やはり腰が痛い。昔研究室の先生がギックリ腰をした時はゲラゲラ笑っていたのたけど、十余年の歳月を経てバチが当たったのか。因果応報強すぎる。

ちなみに僕がランニングマシーンでコケた話を笑っていた人が道で派手にコケたらしい。因果応報強すぎる。もはや呪いのブログと化してきた。ハリポタ風に言うと「名前を言ってはいけないあのブログ」である。きっとこれから腰を痛める読者も出てくると思う。それでも皆さんには読むのをやめないで欲しい。怖いものほど見たくなるって言うしね(適当

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続・健康診断

例の病院でまた健康診断を受けてきたのだけど、とても綺麗になっててびっくり!あんなにボロくてパソコンも無かった病院が、現代的で素敵な病院に生まれ変わっていた。若さの目立っていた院長先生には威厳が出ており、看護師さんも皆若い方になり、世代交代を終えて生まれ変わったという感じがひしひしと伝わってくる。市川悦子のような看護師さんはいなくなっていた…。

幸い異常も無さそうで一安心。また何かあったらここにお世話になろう。

一方であの昭和の空気漂う院内が少し懐かしい気もする。昭和どころかなんか戦前の空気感があった。あの暗がりでレントゲンを撮られている時、遠藤周作の「海と毒薬」に出てくる人体実験が頭をよぎったものだ。うーん恐ろしい。恐ろしいが、同時に何か不思議な奥行きをたたえていた。しかし時代は変わったのだ。さよなら市原悦子…。

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だってとろとろしてるから

僕はほっともっとが好きなのだけど、冬の新作で中華あんかけが出ていたので気になってポスターを見ていた。「とろ〜りあんかけ」と書いてありとても美味しそうだ。とろ〜りしてるんだろうなァ。これは頼むしかない。今夜はこのとろ〜りあんかけだ。そう思ってレジに向かい、店員さんに向かっておもむろにこう言った。

「とろ〜りあんかけ下さい」

しまったと思った。とろ〜りあんかけは商品名ではない。商品名は中華あんかけだ。しかしもう手遅れである。ハッとなった僕を尻目にベトナム国籍と思しき店員さんはこのように言った。

「とろ〜りあんかけ一丁〜」

やだイッケメン‼︎ なんととろ〜りを復唱してくれたのだ。なんて気遣いの出来る方だ。いや、それともただつられたのか。全く表情を変えずに言うので分からない。それとてこちらに気遣いさせない計算かもしれない。かなりの高等テクニックの持ち主、オモテナシの発露である。世の中捨てたもんじゃないなァモグモグ

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食べようお肉

アンガールズの山根さんが増量に励んでいる様子がよくニュースになる。頑張ってるなぁー。コメント欄を見てると、「自分も体重なかなか増えないので励みになります!」と言った声もたくさんある。わかるぅー。わかるぞ同士よ。体重は増やす方が難しいという人もかなりいるのだ。

まあ僕は過剰にムキムキになろうとしてるわけではないので、今はどちらかというと柔軟と体幹トレーニングだ。あとは足腰。昨日太ももを攻めすぎたので、今日は歩く時にぷるぷるする…。だがそれが良い。

緊急事態宣言も延長されて街に元気が無くなってるけど、こんな時こそ身体を元気に保ちましょう。そうすれば心も自ずと晴れてくる。よく食べよく笑う人は誰から見ても気持ちが良いものです。食べないことがヘルシーだと思ってる方もいるようですが、思い切ってお肉と野菜をたくさん食べて欲しいなと思います。(誰ッ

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紙の本

どこかで見たんだけど、人間は光を発するものに対しては受動的に、そうでないものに対しては能動的になりやすいという話があるんだって。へぇーっ、なんか分かる気がする。つまり、スマホとかパソコンのモニターのように光を発するものに対しては受動的になる。んで、紙の本とかは能動的な作業を促す。つまり、ipadやスマホで勉強ってのは出来なくはないけど、ブレーキを踏みながらアクセルを踏むような効率の悪さを生むのではないか?ということ。

勉強する時は紙の方がいいなぁなんて感じるのは自分がそれで育ったからなのかなぁ、と思ったりもしていたのだけど、そうでもないのかも。楽譜はやはりモニターで見るより本の方が頭に入ってくる気がする。ネットで見つけたものも、パッとプリントアウトして紙で見てると違う目線で見れたりする。

書籍のいいところは情報がまとまってて繰り返しやすいところ。あと動画だと10分かかる話が読むと1分で終わることもあるように、書籍の方が圧倒的に学習スピードが早い。というわけで紙媒体もまだまだ捨てたもんじゃないな、という話。

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薄まっていくことに気付かない

通い詰めてたジムが4月末で閉店だそうな…このコロナ禍で退会者は増えるわ新規は増えないわで大変なのだろう。確かに顔ぶれがだいたいいつも同じだったもんなぁ。都会のど真ん中なのに広くて開放感があってとても重宝していたので悲しい。飲食店も閉業に追い込まれるところが多いし大変な時代になったものだ。

ところでクリエイティブなことをするなら小器用を目指してはならない。オールジャンル出来るようになる、というのは自分のクリエイティビティを他者に委ねるのと同じだ。様々なことを学んだ先に得られる世界があるのだ…と言う人は多いけど、ここはあえて断言したい。自分を薄めるようなことをするなと。カイジの絵が物凄く上手くなってしまったら、あの世界観は二度と表現出来なくなるのだ。音楽にも同じことが言える。川が山から海に流れるように、自分の中の自然な流れを大事にするべきだ。

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