Category: 感じたこと・考えてること

モスドナルド

久しぶりにマクドナルドに行ったけど大変うまい。味変わりました?こんなこと言ったら申し訳ないが、一昔前は行ったら必ず後悔するくらい味が落ちていた。子供の頃に食べた時は美味しかったはずだけどなー、大人になって味覚が変わったのかしらと思っていた人も多いと思うが、それは違う。マクドナルドの味は確かに落ちていた。

ところが久しぶりに行ったらうまいのである。子供の頃に食べた印象と同じである。ハンバーガー大好きな僕も満足の味であった。シェフ呼ぼうかと思ったもん。コーヒーも美味しくなってた気がする。全体的に原価率を上げたのだろうか。

ここまで言うとマックにひいきしてしまっているが、実のところ僕はモスが大好きなんだモス。特にとびきりハンバーグシリーズはやばい。セットで900円くらいするがそれでも構わない。是非行ってみてくれモス。

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そ、そうだねボタン

教会でライブしたり、キリスト教的な雰囲気の曲があるせいかクリスチャンと間違われることが結構ある。YouTubeのコメントでもあったな、クリスチャンなの?って。

まあ念を押すことでもないけど、僕は特定の宗教というものを有していない。比較宗教だったりそこから派生する哲学だったりが好きなだけである。いわば宗教ファンというやつですな。

一部の新興宗教や昨今のテロのせいで宗教に良くないイメージを持ってる人もいるかもしれないけど、本当はどの宗教も他者に寛容である。また、無宗教と思ってる人も実はその地域の宗教的な価値観に根差して生きていたりするものなんである。

例えば墓石は科学的にはただの花崗岩の塊である。じゃあ墓石を蹴れるか?と言われると、多くの人が躊躇する。なんで?ただの石ですよ?でも蹴れない。それをやってしまうと、人として大切な何かを失ってしまうような気がするのだ。その感覚こそが宗教感覚なのである。

誰かに教えられたわけでもないのに、どの地域の民族にも死者を弔ったり豊作を祝ったりといった風習がある。どうやらチンパンジーも死者を弔うらしい。一体どうなっているのだろう⁉︎生まれながらにその行為がインプットされているとしか思えない。こういうところが強烈に好奇心をそそるのである。

また、あらゆる宗教に共通するふるまいに偶像崇拝がある。人は形あるものに拝みたがるように出来ているらしい。そんな中で、世界的な宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教においては偶像崇拝は禁止されている。なぜその指導者は偶像崇拝を禁じたのか?もちろん宗教的な理由はそれぞれにあるのだが、そんなもんは適当である。僕にはその背後に、何か科学的に説明出来そうな、生物学的に合理的な理由がありそうな気がしてならないのである。

こんな話をFacebookとかインスタに載せたとしたら場違い感が半端ない。いいねがすごく少なそうである。「そ、そうだね!」ボタンがあったら結構いく気がする。SNSでは重すぎるノリの話を語り散らかせるのがブログの良さであるな。

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写真

写真を撮られるのが苦手である。

最近ではマシになったが、昔は本当に苦手であった。ギターを持っていればまだいいのだが、丸腰(ギタリストがギターを持っていない状態はこう表現される)だと無理である。

そんな中でも結構いい感じに撮れたりするものがあり、それをプロフィールやらなんやらに使うのであるが、ちょっと前にベトナム人の女の子と久しぶりに会った時にそこそこ写りの良い写真を見せたら

「わあーすっごーい全然ちがうヨ!」

と言われた。いや君それは言わなくていいんだよ‼︎ 東南アジアの子は素直で困る。

だから写真選定というのは非常に難しい。実物と違うと言われない程度に、しかしそこそこシュッとしたやつを選ばなければならないのだ。

そういえば昔台湾で撮影した時にメイクをさせられた。目のまわりがGACKT様みたいになっていたのだが、さすがにこれはイメージと違うだろうと思って「あのさ、これやっぱりやめない?」と聞いたら、「後で編集で消すから大丈夫だよ‼︎」と何故か笑顔で言われた。だったら最初からやるなよ‼︎ 結果出来た写真はバッチリ白飛びして目力だけ妙にある、まさにビジュアル系のそれであった。TAKESHIって感じだった。あれはあれで面白かったのかもしれない。

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世を忍ぶ仮の名前

お店の予約をする時に非常に困ることがある。それは名前である。

さかせがわってそんなに聞き取りにくいですかね⁉︎令和の時代においては100%の確率で聞き返される。たかせかささんですか?あ、たかきばらさん?あ、たかせばるさんですね!え?たですか?な?なですか?なかせはらさま…ですね。あ、違うんですか?すみませんお電話が遠いようで…あ、たかはしさまですね

(↑嘘だと思うかもしれないが本当にあった話である!)

どうやら固定電話の音質の悪さが関係しているらしい。特に子機で取られると全然ダメだ。そんなわけで各所に電話するのが非常に憂鬱なんである…。

一番の難関は、どうやら最初の「さ」らしい。これが「た」に聞こえて仕方ないらしい。さかせがわですよ!さしすせその「さ」!というと、たちつてとの「た」ですね!となる。これまでに何度「たかせがわさん」で予約したことか。そして店に入って「さかせがわです」って伝えた後の店員さんの反応も毎度のことである。(さかせがわ…?あ、これだなたぶん)みたいな顔をされるのである。

そんなわけで、偽名でも使おうかと思っている。「鈴木」でも「佐藤」でもいいのだが、ちょっとスパイスを効かせたい。「福山です」「妻夫木です」とかね。「東出です」は今はやめておいた方がいいのかもしれない。でも色々考えたけど、一番面白いのはやっぱり「岸部です」だな。

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広げつつ深めつつ

うーむバタついている。連絡返せてない人ごめんなさい…。一つ集中し出すと周りが見えなくなるタイプなのでご理解下さい。

ところで楽器奏者の生きる道は大きく分けて二つである。一つはライブであり、一つは音楽制作である。そして周りのミュージシャン仲間を見渡すと、面白いくらいにどちらかに分かれている。両方にまたがってやっていく人は、実はかなり稀である。

しかし僕は、ライブと音楽制作どちらにもフォーカスすると決めている。正確に言うと、2年前にそう決めた。自分の場合はその方が幸福度が高いと思っている。フロントマンとして人前に立つのも、部屋にこもって深く制作を追求するのもどちらも同じくらい大切である。

さてひっそりと自分の中で目標を決めている。決意表明は三日坊主の元なので、人には言わず淡々とやることにしている。モチベーションに頼ると人は負ける。やる気がない時にいかにやれるか、それこそが大事である。そしてこれを達成するまでお酒は一切口にしないと決めている。達成したら高いワインでも開けることにしよう。

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ギターは宇宙

フルヤギターの古谷さんについて。彼のギターが好きなのはもちろんだが、どこかで見た彼の言葉がすごく印象的だったのを覚えている。Facebookだったかな…。

細かい表現は覚えてないけど、ギター製作家が修理をやるのはとても大事なことなんだ、と、そういうことが書かれていた。

ちょっとピンと来ない人も多いかもしれないけど、ギター製作家って名が出て来ると製作だけに専念して、修理業をあまりやらなくなるんだよね。修理業はそれはそれで素晴らしい職業なのだけど、ギター製作からすると軽んじられるというか、「食うための仕事」っていう感じがするんだろう。

しかし修理とは、自分とは違う哲学で作られたギターにたくさん出会い、それらを解体して再構築する作業であり、そこから学びとれるものは非常にたくさんある。古谷さんはその辺を大切にしてるのかなと思う。(聞いたわけじゃないよ)

それって演奏家にとってのレッスンと似ているのかもしれない。名が上がってくると、レッスンを辞める人は多い。「あの頃はまだレッスンをしてて…」という言葉もよく聞く。それはそれで構わない。

けど、そうでない価値観があってもいい。レッスンを続ける、というのも一つの美学である。

ここ数年でレッスンの内容も変わってきた。まず、曲を取り上げることが少なくなってきた。それよりも身体の動かし方や音の捉え方といった、基礎的な所にフォーカスするようになった。曲は各自で練習して、気になるところは聞いてねというスタンスである。

なぜか?基礎練は一人ではしんどいからである。一人では続かないことを一緒にやろう、そういう気持ちでやっている。壇上から教えるのではなく、伴走するようにしている。ギター人生はマラソンである。長い道のりだからこそ、大丈夫この道で間違ってないよ、僕は見てきたから知ってるんだ、と声をかけてあげる存在が大事なのだ。

そしてレッスンは、かつてギターに憧れていた時の感情を思い出させてくれる。ギターの世界は全てがキラキラしていて、いつかあんな風に自然の中で気持ちよさそうにギターを弾いてみたい、それだけで自分の人生は十分豊かだと強く憧れた。そんな憧れを、レッスン生は皆持っているはずだ。そしてそれはきっと叶うよと言いたい。数ある趣味の中からギターを選んだ君の判断は正しい。こんなにやりがいのあるものは、世の中そう多くないのだ。

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キャラ変待ったなし

本をよく読むと思われてるがそうでもない。キャラというのは不思議である。「なんかコイツ本読んでそう!」なキャラなのである。それで得をすることもあるが損することの方が多い。良いイメージというのは時として人を失望させるものである。不良がいいことすると「あいつは実はいいやつだ」となるのに納得がいかない私である。あー不良になりたい。

さて本である。どうやらケルト民話集に興味を示した人が結構いるようである。このブログの読者どうなってんの?それはさておき、ふと思い出したことがある。大学生の時、小説「親鸞」をバイト先に持ち込んでいた。それを見とがめた先輩が「これ読んでるの??」と怪訝な顔で聞いてきた。若干ドン引きしていた。20歳の大学生が親鸞を読んでることが相当意外だったようである。

なぜそれを思い出したかと言うと、その後数年してからその先輩にまた言われたからである。

「あの時さー…チャーリーさ…親鸞読んでたよね」

「そういうの読む人、本当にいるんだね」

余計なお世話である。

まあでも同じ時代小説でも宮本武蔵とか、坂本龍馬とか様々なヒーローがいる中でなぜ親鸞?というのはツッコミに値するのかもしれない。

そういえば我が母にも言われた記憶がある。確か「イエスの生涯」とかそういった類の本が僕の枕元に置いてあるのを見て、

「こういうのって…面白いの?」

と真顔で聞かれた。なぜこの母親から自分が産まれたのか不思議である。ちなみに母はサスペンスしか読まない。テレビ欄を見て、「あっ‼︎今日は湯けむり殺人事件の日だ‼︎楽しみだなナ」なんて物騒なことを言う人である。こえーよ!

しかしこういうのを僕が読んでてもハイハイって思われるだけだが、不良が読んでるとなんか硬派でカッコイイ‼︎ってなるんだろうか。あー不良になりたい。

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海の向こうの友達

スカイプレッスンが好評である。自分のウェブショップの中にチラッと忍ばせておいただけなのだが、勉強熱心な方が反応するようである。こういう形で海外の人と交流出来るのは面白い。

最近ではイギリス人の子が特に熱心だ。なんとフルヤギター購入まで考え始めているそうだ。自分の色をつけ過ぎてもいけないので他のギタリストの曲やギターも良く取り上げるのだが、やはり接触回数の多いものの影響を人は受けるのである。教えを垂れるものはその影響力に対して自覚的でなければならない。ともあれ、自分が美しいと思うものに共感してくれる人がいるのは嬉しいことである。

スカイプレッスンは便利だが、とはいえ実際に向き合ってやるレッスンに比べたら得られるものは少ない。そこは割り切って、スカイプならではのカリキュラムにしている。やはり直に触れて教える方が伸びは早いが、近くで良い先生が見つからないという人にはおすすめである。

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センター試験徒然

数々のドラマを生んできたセンター試験が終わった。国立志望の学生にとってあれほど鬼畜な試験はない。5教科7科目という広範囲の中で1点の凌ぎを削るというのは本当に大変な作業である。

甲子園や駅伝やオリンピックもめでたいことかもしれないが、僕に言わせればセンター試験ほどドラマチックなものはない。詰め込み式の勉強が批判される昨今であるが、そんな中でも受験はやってくる。こんなもので人生は決まらないが、こんなものが大きく若者にプレッシャーを与え、その中でベストを尽くそうとする姿勢は最高に美しい。そう、勉強する人は美しいのである。

受験生を見ると、自分もコイツらに負けないように精進せねばと思う。受験の時が一番勉強してました、という人生はダサいのである。勉強は現在進行形でなければならない。今日より明日を美しくするために、今日も精一杯勉強せねばならない。それは苦痛ではなく、人の持つ時間という財産を限りなく濃くしてくれる妙薬なのである。

受験生よ、お疲れ様。これからは誰も君たちに勉強しろとは言ってくれないよ。だから決して燃え尽きてはいけない。知的な炎を大きく燃やすのはむしろこれからなのだ。YouTubeの動画を見て勉強したつもりになってはいけない。むしろ動画をアップする側になりなさい。ブログは書く側になりなさい。作品は作る側になりなさい。そうすれば幾多の人が君に批判を与え、それが君を何倍も成長させる。

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ドルビーなんちゃら

スターウォーズが好きである。中1の時にエピソード1を観に行って以来、あのチャンバラの虜である。思えばあれから21年の歳月が経っている…。テレビとかで「往年のファンも納得の〜」というフレーズを聞くたびに「ふーん」と思っていたが、今の自分は往年のファンそのものではないか…。少年老いやすすぎる。学なりがたすぎる。

そんな飼い慣らされたファンとして、スターウォーズの本当の最終回を目撃しに行ってきた。しかもスーパーレイトショーだ。23:50から始まる。キッズたちはおうちで寝てる時間である。まさに往年のファンの鑑賞姿勢と言えよう。

レイトショーということで1500円で観れるかと思いきや、ドルビーなんちゃらという高画質高音質の上映しかなく、1900円であった。高い高いーっ。キャラメルポップコーンとコーラを携える予定だったのにその夢は打ち砕かれた。

しかし結論から言えばドルビーなんちゃら凄かった。音質も画質も素晴らしい。特にスターウォーズのような映画にはうってつけだ。宇宙空間の黒がめちゃくちゃ黒いのだ。

そして映画そのものも大変良かった。昔からの謎や伏線も色々と回収され、壮大な物語が本当に完結したという感じで往年のファン(私)も涙する内容であった。新規のファンには微妙かもしれない。脚本はチャレンジングでは無かったかもしれないが、水戸黄門にも似たスターウォーズの様式美があちらこちらに散りばめられており、往年のファン(私)にはグッとくる演出が多々あった。ご都合主義なところもあったが、そこはディズニー映画になった時点である程度仕方のないことなのかもしれない。ディズニー映画のご都合主義はそれはそれで安定感のあるものだ。チャレンジは称賛されるべきだが全てが冒険的である必要もない。

というわけでアナ雪2も観に行こうかと画策中である。レイトショーでやっているのであろうか。大きなお友達でも一人で観に行けるよう門戸を解放して欲しいものである。

(もはや観る前からストーリーが予想出来てしまうがそれも悪くない…それがディズニー映画だッ!)

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やよいとたけし

ブログの更新頻度が上がると「コイツ暇なのか?」とあらぬ疑いをかけられるが決して暇ではない。むしろ忙しい。しかしついトムソーヤの冒険を見てしまうのが困り物である。

いや足上がりすぎだろ!

ところで僕はやよい軒が大好きだ。ごはんのお代わりが自由なあれである。

いつもは最安値の生姜焼き定食を頼んでしまうんだが、たまに季節に合った新作を投入してくるのでついそちらにも目がいく。そこで出会ってしまったのがコイツ!

デデーン麻婆豆腐定食!

実はこの時から揚げ定食を食べようと入店したのだけど、麻婆豆腐定食を見つけて迷っていた。するとなんと「麻婆豆腐とから揚げ定食」があるではないか!なんでわかるのぉ私の気持ちが…

この麻婆豆腐、素晴らしく美味しいです。かなり本格的な味がします。シェフ呼びそうになったもん。ごはんお代わり自由にも関わらず、ごはんが無限に進むメニューをぶち込んでくるなんて…懐が深すぎるよやよい軒。

ちなみにオーストラリアのやよい軒はわりと高級な日本食レストランです。こっちで中華やイタリアンが高いのと同じだね。YAYOIの看板が一瞬YOSHIKIに見えてしまうカッコいい店構えである。訪豪の際は是非行かれたし。

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サラリマンはどこへゆく

サラリマン物語を知っているだろうか。1928年(昭和3年)に出版された、サラリマンの実情が赤裸々に述べられている一冊であるがこれがめちゃくちゃ面白いんである。

ちなみに明治は1868年から。当然江戸時代にはサラリーマンなんて存在しないわけで、サラリーマンというものが世の中に現れてせいぜい30〜40年くらいの時期に出版された本であるということである。

毎月決まった額の給料が振り込まれるというのは画期的であり、サラリーマンは「月給さん」として憧れの的であった、のであるが…

曰く、「もはや有名大学を出たからといって良い仕事にあり付けるという時代ではない」

「毎日満員電車に揺られて、女学生に触れないように通勤するのが辛いのである」

など、じわる発言連発。これ1928年よね?我々のおじいさんのお父さんくらいの時代の話ですよ?全く今と変わらな過ぎて面白い。

さらに、「だいたい近頃のサラリーマンはなっとらん、我々の頃は…」と続く。こういうのってマジでいつの時代もあるのね!我々のひいひいおじいちゃん世代が、ひいおじいちゃん世代に文句を言うというなんとも訳の分からない構図がそこにあるんである。一緒やろ!

サラリマン物語はもちろん現在は販売されていない。戦前の貴重な史料として国立国会図書館に保存されているのみである。が、ネット上でPDFが閲覧出来るのでそちらを参照されたし。

ちなみに僕は戦前の紙フェチである。なんかドキドキするんである。国民学校時代の通知表とかプリントとか相当興奮する。本人もまさか後世になって自分の通知表を見られてるとは思うまい。恋文でも出てきたらしめたものである。

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