ギターは芸術品

ここにきて新しいギター欲しい病がふつふつと…こういうのはウインドウショッピングだけでも楽しいもんです。次はヨーロッパのギターがいいなぁと色々と物色していたところ、ドルフィンギターに美しい個体が。

ドルフィンさん、勝手に画像借りてますぺこり。商品ページはこちら↓

https://www.dolphin-gt.co.jp/estore/products/detail/3250

うつくしい…よだれが出そうである。ドルフィンは撮り方も上手ですよね。どうせ僕が使ってたらすぐ傷がたくさん付くんだろうけど…。

ラース・ラスムッセンっていうスウェーデンのルシアーさんらしい。全然知らなかったなぁ。流通量もあまり多くないみたい。

僕はオーダー品ではなくて、ありものから選ぶ方が好きなので、いくつかストックがあれば弾いてみたいところ。スウェーデンに行ってギター買って…ってなると一体いくら必要なんだっ。

しかし何度も言ってることだけど…ピアノを弾いてると無性にギターが恋しくなるし、実際ピアノを弾いた後はギターが上手くなってる。ピアノに使う筋力はギターよりずっと大きいので、筋力がアップしてるのかもしれない。前より余裕がある。音感も良くなる。良いことづくしである。他の楽器の人も、みんなピアノを弾くと良いよ。

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遠回しに、愛してる

不思議なもので、ピアノを弾けば弾くほどギターの良さに気付く。もしかしたら僕は、ギターをもっと愛するためにピアノを弾いてるのではないかと思う。

ギターを弾いてる時は、ギターの不便さに嫌気がさす時がある。もっとこういうふうに音を重ねられたらなぁ…ギターってなんでこうなんだろう。そんな風に思うこともしばしばである。

しかしピアノを弾いたり、オケを重ねたりするうちに…んー、なんともアコースティックギターのあの独特の音が恋しくなるのである。なんかカリッとしててキラキラとしてて、キュッとしててストンとしてて…ギターって良い音だよなぁ。結局はギターのこの素朴な深さに取り憑かれている。

ピアノに集中するために、ギターに呼びかける。「おい君、しばらく君には触れないからな。ピアノの練習をしたいんだ。」しかし3日くらい経つと、喉が渇くようにギターに触りたくなる。ピアノも大好きなのだけど、「なんとなく触りたくなる」感じになるのはやはりギターである。

自分はギターに執着しないギタリストだと思っていたけど、どうやら本当は骨の髄までギタリストなのかもしれない。それを確認するために高いピアノまで買って弾いてるのだとしたら、なんと歪んだ愛なのだろう。しかし歪んでいても愛は愛である。やはり棺桶に入れて欲しいのはギターであるな。

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キリン派です

ゴクゴク…ぷはぁーたまんないねぇっ、

 

あれ、こいつ昼間っからビール飲んでやがる…断酒の誓いはどこいった?へへっ、旦那…こいつはキリンのノンアルビールでっせ。昔と違ってうまくなってるんでっせ。

そうなんである。久しぶりに飲んだらこれまたうまい…企業努力というものはすごいもんである。断酒の誓いを立てた僕に合わせてノンアルビールで乾杯をしてくれた友に感謝、である。

もちろんビールに飢えているわけではないんだけれども、ビールとは言わずとも発泡酒と錯覚するような味が面白くてもう一本と空けてしまう。面白いものよの。

お酒が無いなら無いなりに楽しめるもので、断酒生活も悪くない。コーヒーやノンアルビールを持ってお花見でも行きたいところである。そんな春がもうすぐやってくる。こないだも書いたなこんなこと笑 春は来る前が一番ワクワクするのである。

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ついに買ってしまった

かれこれ一年近く眺めていたこの子がついに我が家にやってきたのである…!

カワイのVPC-1。電子ピアノ…ではなくUSBコントローラーという分類に入るのだが、細かいことは抜きにして、とにかくピアノである。

いわゆる電子ピアノと違うのは、グランドピアノと同じ木製鍵盤だということ。素材だけでなく作りにおいて、グランドピアノの鍵盤と同じ製法が取られている画期的な鍵盤なのである!これか欲しくて欲しくて…夢にまで出てきたよ(本当)。

この重厚感、ハンマーアクション、鍵盤の触り心地、どれをとってもピアノそのものである。カッコいい…もうめちゃくちゃカッコいいんである。良い楽器は見ているだけでドキドキする。

こいつまだピアノ弾く気なんか?と思われちゃってると思うけど…これだけはね、ずっとずっと欲しかったんです。

そういえば、このクソ重いピアノを佐川急便のお姉さんが一人で運んでたのにはびっくりした。あのお姉さん腰を痛めなかっただろうか…。ちなみに僕は一人では持てないので友人シルビオに設置を手伝ってもらった。彼にはずっとこのピアノの話を聞かせていたので、ついに買いやがったか!的な話で盛り上がった。

また春が来る。新しい生活の始まりである。去年の春とは違う景色が見えている。新しいピアノも来たことだし、穏やかで文化的な生活を送っていきたいものである。

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モスドナルド

久しぶりにマクドナルドに行ったけど大変うまい。味変わりました?こんなこと言ったら申し訳ないが、一昔前は行ったら必ず後悔するくらい味が落ちていた。子供の頃に食べた時は美味しかったはずだけどなー、大人になって味覚が変わったのかしらと思っていた人も多いと思うが、それは違う。マクドナルドの味は確かに落ちていた。

ところが久しぶりに行ったらうまいのである。子供の頃に食べた印象と同じである。ハンバーガー大好きな僕も満足の味であった。シェフ呼ぼうかと思ったもん。コーヒーも美味しくなってた気がする。全体的に原価率を上げたのだろうか。

ここまで言うとマックにひいきしてしまっているが、実のところ僕はモスが大好きなんだモス。特にとびきりハンバーグシリーズはやばい。セットで900円くらいするがそれでも構わない。是非行ってみてくれモス。

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そ、そうだねボタン

教会でライブしたり、キリスト教的な雰囲気の曲があるせいかクリスチャンと間違われることが結構ある。YouTubeのコメントでもあったな、クリスチャンなの?って。

まあ念を押すことでもないけど、僕は特定の宗教というものを有していない。比較宗教だったりそこから派生する哲学だったりが好きなだけである。いわば宗教ファンというやつですな。

一部の新興宗教や昨今のテロのせいで宗教に良くないイメージを持ってる人もいるかもしれないけど、本当はどの宗教も他者に寛容である。また、無宗教と思ってる人も実はその地域の宗教的な価値観に根差して生きていたりするものなんである。

例えば墓石は科学的にはただの花崗岩の塊である。じゃあ墓石を蹴れるか?と言われると、多くの人が躊躇する。なんで?ただの石ですよ?でも蹴れない。それをやってしまうと、人として大切な何かを失ってしまうような気がするのだ。その感覚こそが宗教感覚なのである。

誰かに教えられたわけでもないのに、どの地域の民族にも死者を弔ったり豊作を祝ったりといった風習がある。どうやらチンパンジーも死者を弔うらしい。一体どうなっているのだろう⁉︎生まれながらにその行為がインプットされているとしか思えない。こういうところが強烈に好奇心をそそるのである。

また、あらゆる宗教に共通するふるまいに偶像崇拝がある。人は形あるものに拝みたがるように出来ているらしい。そんな中で、世界的な宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教においては偶像崇拝は禁止されている。なぜその指導者は偶像崇拝を禁じたのか?もちろん宗教的な理由はそれぞれにあるのだが、そんなもんは適当である。僕にはその背後に、何か科学的に説明出来そうな、生物学的に合理的な理由がありそうな気がしてならないのである。

こんな話をFacebookとかインスタに載せたとしたら場違い感が半端ない。いいねがすごく少なそうである。「そ、そうだね!」ボタンがあったら結構いく気がする。SNSでは重すぎるノリの話を語り散らかせるのがブログの良さであるな。

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写真

写真を撮られるのが苦手である。

最近ではマシになったが、昔は本当に苦手であった。ギターを持っていればまだいいのだが、丸腰(ギタリストがギターを持っていない状態はこう表現される)だと無理である。

そんな中でも結構いい感じに撮れたりするものがあり、それをプロフィールやらなんやらに使うのであるが、ちょっと前にベトナム人の女の子と久しぶりに会った時にそこそこ写りの良い写真を見せたら

「わあーすっごーい全然ちがうヨ!」

と言われた。いや君それは言わなくていいんだよ‼︎ 東南アジアの子は素直で困る。

だから写真選定というのは非常に難しい。実物と違うと言われない程度に、しかしそこそこシュッとしたやつを選ばなければならないのだ。

そういえば昔台湾で撮影した時にメイクをさせられた。目のまわりがGACKT様みたいになっていたのだが、さすがにこれはイメージと違うだろうと思って「あのさ、これやっぱりやめない?」と聞いたら、「後で編集で消すから大丈夫だよ‼︎」と何故か笑顔で言われた。だったら最初からやるなよ‼︎ 結果出来た写真はバッチリ白飛びして目力だけ妙にある、まさにビジュアル系のそれであった。TAKESHIって感じだった。あれはあれで面白かったのかもしれない。

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世を忍ぶ仮の名前

お店の予約をする時に非常に困ることがある。それは名前である。

さかせがわってそんなに聞き取りにくいですかね⁉︎令和の時代においては100%の確率で聞き返される。たかせかささんですか?あ、たかきばらさん?あ、たかせばるさんですね!え?たですか?な?なですか?なかせはらさま…ですね。あ、違うんですか?すみませんお電話が遠いようで…あ、たかはしさまですね

(↑嘘だと思うかもしれないが本当にあった話である!)

どうやら固定電話の音質の悪さが関係しているらしい。特に子機で取られると全然ダメだ。そんなわけで各所に電話するのが非常に憂鬱なんである…。

一番の難関は、どうやら最初の「さ」らしい。これが「た」に聞こえて仕方ないらしい。さかせがわですよ!さしすせその「さ」!というと、たちつてとの「た」ですね!となる。これまでに何度「たかせがわさん」で予約したことか。そして店に入って「さかせがわです」って伝えた後の店員さんの反応も毎度のことである。(さかせがわ…?あ、これだなたぶん)みたいな顔をされるのである。

そんなわけで、偽名でも使おうかと思っている。「鈴木」でも「佐藤」でもいいのだが、ちょっとスパイスを効かせたい。「福山です」「妻夫木です」とかね。「東出です」は今はやめておいた方がいいのかもしれない。でも色々考えたけど、一番面白いのはやっぱり「岸部です」だな。

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広げつつ深めつつ

うーむバタついている。連絡返せてない人ごめんなさい…。一つ集中し出すと周りが見えなくなるタイプなのでご理解下さい。

ところで楽器奏者の生きる道は大きく分けて二つである。一つはライブであり、一つは音楽制作である。そして周りのミュージシャン仲間を見渡すと、面白いくらいにどちらかに分かれている。両方にまたがってやっていく人は、実はかなり稀である。

しかし僕は、ライブと音楽制作どちらにもフォーカスすると決めている。正確に言うと、2年前にそう決めた。自分の場合はその方が幸福度が高いと思っている。フロントマンとして人前に立つのも、部屋にこもって深く制作を追求するのもどちらも同じくらい大切である。

さてひっそりと自分の中で目標を決めている。決意表明は三日坊主の元なので、人には言わず淡々とやることにしている。モチベーションに頼ると人は負ける。やる気がない時にいかにやれるか、それこそが大事である。そしてこれを達成するまでお酒は一切口にしないと決めている。達成したら高いワインでも開けることにしよう。

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ギターは宇宙

フルヤギターの古谷さんについて。彼のギターが好きなのはもちろんだが、どこかで見た彼の言葉がすごく印象的だったのを覚えている。Facebookだったかな…。

細かい表現は覚えてないけど、ギター製作家が修理をやるのはとても大事なことなんだ、と、そういうことが書かれていた。

ちょっとピンと来ない人も多いかもしれないけど、ギター製作家って名が出て来ると製作だけに専念して、修理業をあまりやらなくなるんだよね。修理業はそれはそれで素晴らしい職業なのだけど、ギター製作からすると軽んじられるというか、「食うための仕事」っていう感じがするんだろう。

しかし修理とは、自分とは違う哲学で作られたギターにたくさん出会い、それらを解体して再構築する作業であり、そこから学びとれるものは非常にたくさんある。古谷さんはその辺を大切にしてるのかなと思う。(聞いたわけじゃないよ)

それって演奏家にとってのレッスンと似ているのかもしれない。名が上がってくると、レッスンを辞める人は多い。「あの頃はまだレッスンをしてて…」という言葉もよく聞く。それはそれで構わない。

けど、そうでない価値観があってもいい。レッスンを続ける、というのも一つの美学である。

ここ数年でレッスンの内容も変わってきた。まず、曲を取り上げることが少なくなってきた。それよりも身体の動かし方や音の捉え方といった、基礎的な所にフォーカスするようになった。曲は各自で練習して、気になるところは聞いてねというスタンスである。

なぜか?基礎練は一人ではしんどいからである。一人では続かないことを一緒にやろう、そういう気持ちでやっている。壇上から教えるのではなく、伴走するようにしている。ギター人生はマラソンである。長い道のりだからこそ、大丈夫この道で間違ってないよ、僕は見てきたから知ってるんだ、と声をかけてあげる存在が大事なのだ。

そしてレッスンは、かつてギターに憧れていた時の感情を思い出させてくれる。ギターの世界は全てがキラキラしていて、いつかあんな風に自然の中で気持ちよさそうにギターを弾いてみたい、それだけで自分の人生は十分豊かだと強く憧れた。そんな憧れを、レッスン生は皆持っているはずだ。そしてそれはきっと叶うよと言いたい。数ある趣味の中からギターを選んだ君の判断は正しい。こんなにやりがいのあるものは、世の中そう多くないのだ。

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キャラ変待ったなし

本をよく読むと思われてるがそうでもない。キャラというのは不思議である。「なんかコイツ本読んでそう!」なキャラなのである。それで得をすることもあるが損することの方が多い。良いイメージというのは時として人を失望させるものである。不良がいいことすると「あいつは実はいいやつだ」となるのに納得がいかない私である。あー不良になりたい。

さて本である。どうやらケルト民話集に興味を示した人が結構いるようである。このブログの読者どうなってんの?それはさておき、ふと思い出したことがある。大学生の時、小説「親鸞」をバイト先に持ち込んでいた。それを見とがめた先輩が「これ読んでるの??」と怪訝な顔で聞いてきた。若干ドン引きしていた。20歳の大学生が親鸞を読んでることが相当意外だったようである。

なぜそれを思い出したかと言うと、その後数年してからその先輩にまた言われたからである。

「あの時さー…チャーリーさ…親鸞読んでたよね」

「そういうの読む人、本当にいるんだね」

余計なお世話である。

まあでも同じ時代小説でも宮本武蔵とか、坂本龍馬とか様々なヒーローがいる中でなぜ親鸞?というのはツッコミに値するのかもしれない。

そういえば我が母にも言われた記憶がある。確か「イエスの生涯」とかそういった類の本が僕の枕元に置いてあるのを見て、

「こういうのって…面白いの?」

と真顔で聞かれた。なぜこの母親から自分が産まれたのか不思議である。ちなみに母はサスペンスしか読まない。テレビ欄を見て、「あっ‼︎今日は湯けむり殺人事件の日だ‼︎楽しみだなナ」なんて物騒なことを言う人である。こえーよ!

しかしこういうのを僕が読んでてもハイハイって思われるだけだが、不良が読んでるとなんか硬派でカッコイイ‼︎ってなるんだろうか。あー不良になりたい。

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海の向こうの友達

スカイプレッスンが好評である。自分のウェブショップの中にチラッと忍ばせておいただけなのだが、勉強熱心な方が反応するようである。こういう形で海外の人と交流出来るのは面白い。

最近ではイギリス人の子が特に熱心だ。なんとフルヤギター購入まで考え始めているそうだ。自分の色をつけ過ぎてもいけないので他のギタリストの曲やギターも良く取り上げるのだが、やはり接触回数の多いものの影響を人は受けるのである。教えを垂れるものはその影響力に対して自覚的でなければならない。ともあれ、自分が美しいと思うものに共感してくれる人がいるのは嬉しいことである。

スカイプレッスンは便利だが、とはいえ実際に向き合ってやるレッスンに比べたら得られるものは少ない。そこは割り切って、スカイプならではのカリキュラムにしている。やはり直に触れて教える方が伸びは早いが、近くで良い先生が見つからないという人にはおすすめである。

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