本をよく読むと思われてるがそうでもない。キャラというのは不思議である。「なんかコイツ本読んでそう!」なキャラなのである。それで得をすることもあるが損することの方が多い。良いイメージというのは時として人を失望させるものである。不良がいいことすると「あいつは実はいいやつだ」となるのに納得がいかない私である。あー不良になりたい。
さて本である。どうやらケルト民話集に興味を示した人が結構いるようである。このブログの読者どうなってんの?それはさておき、ふと思い出したことがある。大学生の時、小説「親鸞」をバイト先に持ち込んでいた。それを見とがめた先輩が「これ読んでるの??」と怪訝な顔で聞いてきた。若干ドン引きしていた。20歳の大学生が親鸞を読んでることが相当意外だったようである。
なぜそれを思い出したかと言うと、その後数年してからその先輩にまた言われたからである。
「あの時さー…チャーリーさ…親鸞読んでたよね」
「そういうの読む人、本当にいるんだね」
余計なお世話である。
まあでも同じ時代小説でも宮本武蔵とか、坂本龍馬とか様々なヒーローがいる中でなぜ親鸞?というのはツッコミに値するのかもしれない。
そういえば我が母にも言われた記憶がある。確か「イエスの生涯」とかそういった類の本が僕の枕元に置いてあるのを見て、
「こういうのって…面白いの?」
と真顔で聞かれた。なぜこの母親から自分が産まれたのか不思議である。ちなみに母はサスペンスしか読まない。テレビ欄を見て、「あっ‼︎今日は湯けむり殺人事件の日だ‼︎楽しみだなナ」なんて物騒なことを言う人である。こえーよ!
しかしこういうのを僕が読んでてもハイハイって思われるだけだが、不良が読んでるとなんか硬派でカッコイイ‼︎ってなるんだろうか。あー不良になりたい。