大学生の頃、どんな音楽が好きかという話になり先輩が「オシャレな曲が好き」と言っていて、マジか世の中にはそんな価値観もあるのかと一人物思いにふけった記憶がある。
僕はどっちかというと内向的でもの悲しい音楽が好きだ。例えばアイルランドの寒い季節に、老婆が一人水汲みをしている。そんなシーンに合うような音楽が好きなのである。そして当時は、皆もそういう音楽が好きなはずだと勝手に思い込んでいた。むしろ自分の方が圧倒的少数派だと気付いたのはかなり後の話である。
オシャレな曲はなかなか自分の中でヒットしない。何をもってオシャレかは人それぞれだけど、いわゆるオシャレなコード遣いというのが好きではないのである。それ使うといつもその味になるよねぇって感じがするし、耳障りは良くても、人の内面をえぐるような感情の起伏をあまり起こさない。
まあでも世の中一般にはギターの音楽=オシャレ、ピアノの音楽=オシャレ、というようなざっくりとしたイメージがあるのでこの感覚はうまく伝わらないんである。むーん。
例えば戦場のメリークリスマスは寂しさと哀しさと土臭さが同居した素晴らしい曲だと思うけれど、オシャレな曲ではない。戦場のメリークリスマスを聴きながら過ごすディナーはオシャレであるが、戦場のメリークリスマスそのものはオシャレではないというのが僕の感覚である。
ところでケルト民話集を知っているだろうか。フィオナマクラウドという人が編纂したかなり昔の民話集で、救いようのない悲しい民話がたくさん詰まっている素敵な作品である。大学生の頃、この民話集を読みながらお風呂に入るのが至福の時間であったと友達に話したらドン引きされた。どうやら昔から著しくズレた感性を持っていたようだけどもはや貫くしかあるまい。そしてそんな奴のブログを読んでいるあなたも同類である。きっとケルト民話集を探してしまうであろう。そして沼へ…