フルヤギターの古谷さんについて。彼のギターが好きなのはもちろんだが、どこかで見た彼の言葉がすごく印象的だったのを覚えている。Facebookだったかな…。

細かい表現は覚えてないけど、ギター製作家が修理をやるのはとても大事なことなんだ、と、そういうことが書かれていた。

ちょっとピンと来ない人も多いかもしれないけど、ギター製作家って名が出て来ると製作だけに専念して、修理業をあまりやらなくなるんだよね。修理業はそれはそれで素晴らしい職業なのだけど、ギター製作からすると軽んじられるというか、「食うための仕事」っていう感じがするんだろう。

しかし修理とは、自分とは違う哲学で作られたギターにたくさん出会い、それらを解体して再構築する作業であり、そこから学びとれるものは非常にたくさんある。古谷さんはその辺を大切にしてるのかなと思う。(聞いたわけじゃないよ)

それって演奏家にとってのレッスンと似ているのかもしれない。名が上がってくると、レッスンを辞める人は多い。「あの頃はまだレッスンをしてて…」という言葉もよく聞く。それはそれで構わない。

けど、そうでない価値観があってもいい。レッスンを続ける、というのも一つの美学である。

ここ数年でレッスンの内容も変わってきた。まず、曲を取り上げることが少なくなってきた。それよりも身体の動かし方や音の捉え方といった、基礎的な所にフォーカスするようになった。曲は各自で練習して、気になるところは聞いてねというスタンスである。

なぜか?基礎練は一人ではしんどいからである。一人では続かないことを一緒にやろう、そういう気持ちでやっている。壇上から教えるのではなく、伴走するようにしている。ギター人生はマラソンである。長い道のりだからこそ、大丈夫この道で間違ってないよ、僕は見てきたから知ってるんだ、と声をかけてあげる存在が大事なのだ。

そしてレッスンは、かつてギターに憧れていた時の感情を思い出させてくれる。ギターの世界は全てがキラキラしていて、いつかあんな風に自然の中で気持ちよさそうにギターを弾いてみたい、それだけで自分の人生は十分豊かだと強く憧れた。そんな憧れを、レッスン生は皆持っているはずだ。そしてそれはきっと叶うよと言いたい。数ある趣味の中からギターを選んだ君の判断は正しい。こんなにやりがいのあるものは、世の中そう多くないのだ。

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